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信仰表明

信仰表明 私たちの教義声明 みことばについて 旧約聖書と新約聖書によって構成される66冊の聖書は、完成した、書き記された神のみことばです。聖霊なる神が人である著者たちを導き、みこころ通りに言葉を書き記させました。 したがって、人である執筆者たちによって書き記された聖書の言葉は、まさに神ご自身のみことばです。神の霊感を受けた聖書には誤りが全く無く、生活と信仰において間違いの無い、確かな、そして最終的な模範となります。 聖書は、その内に記された全ての事柄について完全な権威をもって語っています。 聖書の参照箇所: 使徒1章16節; Ⅱテモテ3章1ー17節; Ⅱペテロ1章3ー21節; Ⅱペテロ3章15ー16節 神について 神は永遠であり、その完全性において無限のお方です。 この唯一の神は、父、子、聖霊の3人の、異なりつつも完全な神性の位格として永遠に存在しておられます。神は存在するすべてのものの創造主です。 無から天と地を造られました。 すべての被造物に対して包括的な主権をお持ちです。また、過去、現在、未来のすべての出来事について完全で完璧な知識を持っておられます。 神は常に、どこであっても存在されます。 その本質のどこにも罪の影がなく、無限に良いお方です。 聖書の参照箇所: 創世記1ー3章; 詩篇139篇1ー16節; イザヤ書46章:8ー11節; 使徒5章1ー4節; ローマ9章5節; エペソ1章11節 イエス・キリストについて イエス・キリストは永遠の神の御子であり、三位一体の第二の位格です。イエスは完全な神性、完全な人間性という2つの異なった性質を持ち、それらが混ざり合うことなく1人の位格として存在されます。 イエスは処女からお生まれになりました。地上での生涯において、神の律法を一度も破ることなく生き、その義をご自分の民のために成し遂げられました。 ご自分の民の罪の代価を支払うために十字架上で惨い死を受けられました。イエスは主、そして救い主として3日目に墓から奇跡的によみがえり、罪、死、そして悪魔に対する勝利を示されました。 その後、肉体を持って天に昇られ、そこからすべての被造物を治めておられます。そしてキリストの花嫁である教会がイエスのご栄光の再臨を待ち望む間、絶えず支え、とりなしておられます。 聖書の参照箇所: マタイ1章18ー25節; ヨハネ17章6節; Ⅰコリント15章1ー8節; エペソ1章21ー23節; Ⅰテサロニケ4章13ー18節; テトス2章:11ー15節; へブル4章:14ー15節; 7章25節 聖霊について 聖霊は永遠の、三位一体の第三の位格です。 聖霊は罪を示して悟らせる、クリスチャンに内住して下さる方です。聖霊は信者を新しく生まれ変わらせて力を与え、クリスチャンとして生き、みことばを理解し、そしてイエス・キリストを礼拝できるようにして下さいます。 そのため、聖霊は聖書的な変化に不可欠なお方です。聖霊は、信者が教会での働きが出来るように奉仕の賜物を備えて下さる、主権を持つ神です。聖霊は約束された助け主であり、すばらしい助言者であるイエス・キリストの働きを今も続けておられます。 聖書の参照箇所: ヨハネ16章4ー15節; ローマ8章9ー11節; Ⅰコリント12章12ー30節; エペソ1章13ー18節 神の恵みについて 救いは、初めから終わりまで余す所無く神の恵みの御業です。 父なる神は、世界の基が据えられる前から救われる人々を選び、教会が成るようにされました。イエス・キリストは、その生涯、死、そしてよみがえりによって、それらの人々の救いを買い取られました。聖霊は、信じるすべての人にキリストの御業を据え、彼らの心に信仰の賜物を生み出し、永遠にその信仰の内に保って下さいます。 聖書の参照箇所: ローマ3章21ー23節; エペソ1章3ー14節; エペソ2章1ー10節; ピリピ1章6節 人について 神は大地のちりで人を形造り、いのちの息を吹き込まれ、そして人は生きるものとなりました。人類は神のかたちとして造られ、被造物の頂点として神によって創造されました。 神は人類を、男性と女性という互いに補い合う、品格と価値において平等な2つの性別に創造されました。男性は、特に家庭や教会において、霊的なリーダーとしての役割を果たすよう召されています。 女性は、特に家庭や教会において、敬虔な奉仕者のリーダーシップに応え、支持するよう召されています。神は人を肉体と、物質の無いたましいとを持つ存在として創造されました。 それらは等しく名誉があり、人にとって不可欠です。聖書には、たましいが肉体に動機を与え、行動を促すものであることが描かれています。 これらの構成要素は、死によってのみ引き離されます。 クリスチャンの大きな希望は、新しい天と新しい地での栄化された肉体とたましいの復活です。人は神に仕え、神のかたちと同じ姿に変えられるためには、神の助言が必要な、依存する被造物として意図されています。 聖書の参照箇所: 創世記1章26ー27節; 2章7節; 箴言4章23節; ローマ8章29節; Ⅰテモテ2章8ー15節; エペソ5章22ー33節; Ⅱコリント4章16節ー5章10節 罪について 神は人類を、罪の無い完全な状態に創造されました。 しかしアダムが自らの意思で神に背き、善悪の知識の木から食べたことによって、人類はその状態から堕落しました。それ以来、イエス・キリスト以外の全ての人間は罪を持ち、神から離れた状態で生まれるようになりました。 人間の本性のあらゆる要素は罪によって本質的に堕落しています。それゆえ人類は、悔い改めとイエス・キリストへの信仰を通して聖霊によって罪からきよめられる神の恵みを切実に必要としています。 聖書の参照箇所: 創世記 3章1ー7節; 詩篇 51篇5節; ローマ 3章1ー21節; 5章12ー21節 教会について 教会はキリストの花嫁であり、神のみことばを宣べ伝え、洗礼と主の晩餐を執り行い、教会による懲戒を行使するよう召されています。教会は、神がご自身の使命をこの世で成し遂げるための組織体です。 教会は、みことばの奉仕、カウンセリングや弟子訓練も含めた全ての働きの主体です。 聖書の参照箇所: マタイ 16章18ー20節; マタイ 18章15ー20節; ローマ 15章14節; Ⅰペテロ 2章1ー12節; 黙示録 19章6ー10節 新生について 新生とは、罪人の頑なな心が神を愛しみことばに従う信仰者の柔らかな心へと変えられる、聖霊の主権的な働きです。 これこそがキリストにある新しい生活を可能にします。新生は、悔い改めと信仰という神から与えられた賜物とともに、ただ恵みによって与えられるものであり、それによってキリストにある救いの偉大さが証明されるのです。 聖書の参照箇所: エゼキエル書 36章25ー27節; 使徒 20章21節; ヨハネ 3章1ー9節; テトス 3章4ー6節; ヤコブ 1章18節 義認について 義認とは、イエス・キリストの罪のない従順と十字架上での身代わりの贖いを信じて救われた人々に、イエス・キリストの義がきせられたという、神の主権を持った宣言です。神が人を義と認められると、神はもはやその人を罪人として扱わず、イエス・キリストがその人に代わって獲得された義を持つ者と見なされます。この義認の宣言は、罪人の過去、現在、未来のいかなる功績によるものでもありません。 ただイエス・キリストが成し遂げられたことに基づき、信仰によってのみ受け取れるものです。 聖書の参照箇所: ルカ 18章9ー14節; ローマ 4章1ー12節; ピリピ 3章1ー11節 聖化について 聖化は、クリスチャンがキリストへの従順において成長出来るよう神が恵みを与えて下さることを通してなされる、神と人とが一体となった働きです。クリスチャンは信仰を持った時点で決定的な意味では聖なる者とされていますが、聖さにおいて成長の余地が残されています。この恵みの働きは、聖書を読み、祈り、思いを新たにし、地域教会の中で交わりを保つといった日常的な恵みの手段を信仰によって用いることが信者に求められます。クリスチャンはキリストに似た者へと成長する進歩を実際的に経験しますが、この働きはこの世で完成することはありません。 聖書の参照箇所: 使徒 26章17ー18節; ローマ 6章1ー14節; Ⅱコリント 3章18節; ピリピ 2章12ー13節; コロサイ 3章1ー17節 啓示について 神は二つの方法で人類にご自身を明らかにされます。 特別啓示は、神がみことばを通してご自身をご自分の民に明らかにされることです。一般啓示は、神が被造物を通してご自身を全人類に明らかにされることです。 一般啓示も特別啓示も、どちらも神からのもので、内容は異なりますが、等しく権威を持っています。特別啓示は神のご性質を細部まで示し、どうしたら神を敬う生涯を生きられるかを明らかにします。 一般啓示は神の美しさと力を明らかにし、裁きへとつながっています。一般啓示の主題は、被造物に関する単なる事実ではなく、神のご性質です。 一般啓示を正しく理解してそれを生かすには、特別啓示が必要です。 聖書の参照箇所: 詩篇 19篇1ー6節; ローマ 1章18ー23節 一般恩寵について 神はすべての人にいつくしみをほどこし、物質的な必要を満たし、知性的な賜物を与えられます。このいつくしみは「一般恩寵」としても知られ、例えば未信者に科学的な事実を理解する能力を与えるものであり、未信者が理解する正確な情報を信者も肯定できる理由です。神の恵みの最も重要な現れは、イエス・キリストの血潮によって信じるすべての者に与えられる、罪人の救いです。 この特別な、イエスの恵みによる救い無しには、一般恩寵には罪が人間の思考にもたらす腐食的な影響を克服することは出来ません。現実は、未信者は多くの事実を知ることは出来ても、神に関する、人類の問題に関する、またキリストにある解決を含む、人が生きる上で最も重要な情報を誤解してしまうことを確証しています。カウンセリングの中心的な要素には神、人間の問題の本質、そしてキリストにある神の解決が含まれるため、この世の人々のカウンセリング方法と、独自の、聖書に基づいたカウンセリングへのアプローチとは根本的に相容れないものになります。 聖書の参照箇所: マタイ 5章44ー45節; ヨハネ 1章9節; ローマ 1章18ー23節; コロサイ 1章21節 大宣教命令について 教会は、宣教と弟子訓練という使命を持って世に出て行くよう召されています。イエスはこの命令を与えるにあたって、ご自分の民が宣教において人々をキリストへと導き、弟子訓練において人々を築き上げるために会話を用いるように求めておられます。大宣教命令は、忠実なカウンセリングにおける会話のすべてがイエス・キリストを最終的な目標とすることを不可欠にします。私たちの主であり救い主であるお方は、相談の会話を避けたり、その会話をイエスへと向けることを避けたりする選択肢を信者に与えてはおられません。 したがって、クリスチャンの大宣教命令への献身も、忠実な聖書に基づいたカウンセリングへの献身も一つであって同じものなのです。 聖書の参照箇所: マタイ 28章16ー20節; ローマ 10章1ー17節; Ⅱコリント 5章11ー21節; コロサイ 1章24ー29節 終末について イエス・キリストは、ご自身の教会のために再臨されます。 その時は、神のみがご存知です。 イエスは来られる時、全人類に対して裁きの座に着かれます。この裁きが終わると、イエスは全人類を永遠へと導かれます。 生涯を通して信仰を拒み続けた人々はみな、永遠の苦しみに入れられます。キリストにあって義とされた人々は、イエス・キリストのご臨在の中で永遠の喜びに入れられます。それゆえクリスチャンは、すべての悪は裁かれ、すべての正しい行いは報われ、神の民は最終的に神とともに住まうという希望を持つことが出来ます。 聖書の参照箇所: マタイ 25章31ー46節; ローマ 2章6ー11節; Ⅰテサロニケ 4章13ー18節; 黙示録 21章